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米津玄師『IRIS OUT』完全解説:チェンソーマン レゼ篇主題歌の深層分析

2025年9月24日にリリースされた米津玄師の楽曲「IRIS OUT」は、『劇場版 チェンソーマン レゼ篇』の主題歌として制作されました。この楽曲は単なるアニメソングの枠を超え、思春期の激しい恋愛感情を緻密に描いた音楽作品として注目を集めています。

本記事では、楽曲タイトルに込められた映画的意味から歌詞の深層分析、そして現代の「推し文化」との関連まで、包括的に解説していきます。

「IRIS OUT」というタイトルの意味

映画技法としてのアイリスアウト

映画技法としてのアイリスアウトのイメージ

「アイリスアウト」は映画や演劇で使用される映像技法の一つです。画面の端から円形に暗転していき、最終的に中央の一点に収束して完全に消える演出を指します。この名称は、カメラレンズの「絞り(iris)」や人間の目の「虹彩(iris)」が開閉する動きに由来しています。

サイレント映画や古典的なアニメーションで、シーンや作品の終わりを示すために多用されてきた手法です。

三層のメタファー構造

この楽曲において「IRIS OUT」は三つのレベルで機能しています:

  1. 映画的レベル:物語の一つの区切り、終わりを意味する
  2. 心理的レベル:主人公デンジの世界が一人の存在に収束していく「視野狭窄」を象徴
  3. 物語的レベル:デンジとレゼの関係が悲劇的に終わることを表現

物語背景:デンジとレゼの悲劇

チェンソーマン「レゼ篇」の概要

劇場版「チェンソーマン レゼ篇」ティザービジュアル
劇場版「チェンソーマン レゼ篇」ティザービジュアル
(C)藤本タツキ/集英社・MAPPA

楽曲を理解する上で不可欠なのが、原作『チェンソーマン』における「レゼ篇」の物語です。

主人公デンジは悪魔の心臓を持つデビルハンター。貧困の中で育った彼は、人間的な愛情や普通の生活に強い憧れを抱いています。そこに現れたのが、カフェで働くミステリアスな少女レゼ。二人は急速に親密になり、デンジは彼女に完全に心を奪われます。

残酷な真実

出典:『劇場版『チェンソーマン レゼ篇』より
© 藤本タツキ/集英社・MAPPA

しかしレゼの正体は、ソ連から送り込まれた「爆弾の悪魔」。デンジの心臓を奪うことが彼女の任務でした。彼女の示した愛情は、すべて計算された演技だったのです。

戦闘の後、デンジは裏切られても彼女を殺せず、「一緒に逃げよう」と提案します。レゼも約束の場所へ向かいますが、途中でマキマに殺害されてしまいます。物語は、何も知らずカフェで待ち続けるデンジの姿で終わります。

米津玄師の創作意図

「KICK BACK」との差別化

米津玄師 Kenshi Yonezu – KICKBACK

米津玄師は前作「KICK BACK」とは異なるアプローチを選択しました。「KICK BACK」が複雑な構成の「ジェットコースター」なら、「IRIS OUT」は一直線に突き進む「フリーフォール」。

この「フリーフォール(自由落下)」という比喩は、恋に落ちる現象を見事に表現しています:

  • 解放された瞬間の無重力感と高揚感
  • 制御不能な加速
  • 避けられない激しい衝突

原作への徹底的な没入

米津玄師の写真
米津玄師、『レゼ篇』主題歌、エンディングテーマを担当し「自分が作った音楽も愛情深く扱ってくださり本当にすばらしい」:中日スポーツ・東京中日スポーツ

米津は「原作のレゼが写ってるページを四六時中開きっぱなしにして睨みつけながら作りました」と語っています。この発言から、楽曲が原作への深い理解から生まれたことが分かります。

歌詞分析:デンジの内なるモノローグ

チェンソーマン第6巻のワンシーン
講談社:チェンソーマン第6巻より

内面の葛藤

楽曲冒頭では、理性(モラリティ)と感情(フィロソフィ)の戦いが描かれます。マキマへの好意を知る理性が警告を発するものの、レゼへの圧倒的な愛がそれを凌駕する様子が表現されています。

暴力的で身体的な表現

米津は伝統的な恋愛の比喩を避け、『チェンソーマン』の世界観に合致した独特の表現を用いています。愛情を致命傷と結びつけたり、甘美な感情が吐き気を催すほどの強度に達した状態を描写したりすることで、恋の狂気性を表現しています。

パワーバランスの不均衡

歌詞には、デンジとレゼの間の完全なパワーバランスの不均衡が様々な比喩で描かれています。オセロやカツアゲといった言葉を用いて、デンジが最初から完全な敗北を認めている様子が表現されています。

現代の「推し文化」との共鳴

米津は楽曲制作において、現代の「推し」文化との関連性を意識したと語っています。

献身の本質

「推し」という言葉が、むき出しの感情を社会的に受け入れられやすい形にする「脱臭剤」として機能しているという米津の考察は示唆に富んでいます。「IRIS OUT」は、その浄化される以前の、むき出しの献身を歌った作品と言えるでしょう。

デンジとレゼの関係は、ファンとアイドルの力学の縮図でもあります。巧みに作り上げられたペルソナに恋をし、すべての希望と欲望を投影する様は、現代のファンダムにも通じるものがあります。

「JANE DOE」との二連祭壇画

「IRIS OUT」の分析は、対となる楽曲「JANE DOE」との関係性を考察することで完結します。

二つの視点

  • IRIS OUT:追う者(デンジ)の爆発的で外面化された視点
  • JANE DOE:追われる者(レゼ)の静かで内面化された視点

「JANE DOE」は身元不明の女性を指す言葉であり、国家の道具として名前すらも偽りであったレゼの存在を反映しています。

完結する悲劇

両方を聴くことで、それぞれの状況によって引き裂かれる前に、互いの中に束の間の希望を見出した二人の魂の悲劇が浮かび上がります。デンジのモノローグは、失敗に終わった対話の片割れへと変貌し、その悲劇性を深めるのです。

まとめ:主題統合の傑作

「IRIS OUT」は、主題、音楽、歌詞のあらゆる要素が原作の心理的および物語的軌跡を完璧に凝縮した作品です。

映画的な「閉じていく絞り」という概念を用いて、聴き手をデンジの恋に狂った精神の中に閉じ込め、彼の愛情が持つすべてを飲み込むほどの集中力を体験させます。

そしてその直後、世界は、楽曲は、唐突に暗転するのです。