Misfortune.gb完全解説:架空のゲームボーイホラーが現実になった現代デジタル民俗学の傑作
目次
- はじめに:屋根裏に眠る謎のカートリッジ
- Misfortune.gbとは何か:都市伝説の解剖学
- デジタルホラーの系譜:Ben DrownedからPolybius
- 架空から現実へ:ファンコミュニティの創造力
- 現代デジタル民俗学における意義
- まとめ:機械に宿る幽霊の正体
1. はじめに:屋根裏に眠る謎のカートリッジ

1989年4月21日、任天堂から発売されたゲームボーイは、携帯ゲーム機の歴史を永遠に変えました。その独特の緑色の画面、カートリッジを挿入する際の「カチッ」という音、そして手のひらサイズの筐体が創り出した個人的なゲーム体験は、30年以上経った今でも多くの人々の心に深く刻まれています。
しかし、このレトロゲーミングの黄金時代には、表には出ない暗い都市伝説も存在していました。その中でも特に興味深いのが、「Misfortune.gb」という架空のホラーゲームを巡る現代的な民間伝承です。
この記事では、デジタル民俗学の観点から「Misfortune.gb」現象を詳細に分析し、なぜこの架空のゲームが現実のソフトウェアとして具現化され、インターネット文化の一部として定着したのかを探求していきます。
2. Misfortune.gbとは何か:都市伝説の解剖学

2.1 基本的な物語構造
「Misfortune.gb」は、一般的なクリーピーパスタ(インターネット上で語り継がれる怖い話)とは一線を画す巧妙な設定を持っています。この伝説によると、Misfortune.gbは店頭で販売されるものではなく、『ポケットモンスター 赤』や『ゼルダの伝説 夢をみる島』といった有名なゲームボーイタイトルのROM内に隠された秘密のゲームです。
アクセス方法の曖昧性が、この伝説の重要な特徴の一つです。起動方法は意図的に不明確にされており、「ドアをノックする」「特定の草むらを歩く」「看板を調べる」といった「完全にランダムなこと」で偶然発見されるとされています。
2.2 「可愛い悪魔」との遭遇
ゲームが起動すると、プレイヤーは「可愛らしい悪魔のような男」と対峙します。この存在は時に「不幸の精霊(The Spirit of Misfortune)」と呼ばれ、プレイヤーに次のような挑戦状を叩きつけます:
「私は現実の構造そのものの中に存在する。私に挑戦するか?」
この台詞は、単なるゲーム内のキャラクターを超えた、より深い存在論的な脅威を示唆しています。
2.3 心理的ホラーとしての革新性

従来のゲーム系クリーピーパスタの多くが「プレイヤーが死ぬ」という直接的で非現実的な脅威を描いてきたのに対し、Misfortune.gbは心理生理学的な影響に焦点を当てています。
ゲームオーバー時に表示される「私が神だ(I am god here)」というメッセージと共に流れる「暗く、恐ろしい音楽」は、現実世界で以下の症状を引き起こすとされます:
- 深刻な頭痛
- 吐き気
- 身体の震え
- うつ病的症状
この設定の巧妙さは、これらの症状が実際に起こり得る心身症的な反応であることです。1997年の「でんのうせんしポリゴン」事件(通称ポケモンショック)で実際に多くの子供たちが光過敏性発作を起こした歴史的事実を知る世代にとって、この種の技術的な健康被害は決して非現実的ではありません。
3. デジタルホラーの系譜:Ben DrownedからPolybius
3.1 「Ben Drowned」の影響

Misfortune.gbを理解するためには、まず2010年に登場した「Ben Drowned」の影響を考慮する必要があります。『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』を題材にしたこのクリーピーパスタは、呪われたゲームカートリッジという概念を広く普及させました。
しかし、Misfortune.gbはこの概念を進化させています。Ben Drownedが単一のカートリッジに宿る怨霊の物語だったのに対し、Misfortune.gbの「悪魔」はウイルスのような存在として、複数の異なるゲームに潜伏する可能性があります。
3.2 「シオンタウン症候群」との類似性
『ポケットモンスター 赤・緑』の「シオンタウン症候群」伝説との比較も重要です。この都市伝説は、シオンタウンのBGMが子供にしか聞こえない高周波音を含んでおり、日本の子供たちの自殺を引き起こしたと主張していました。
Misfortune.gbとシオンタウン症候群はどちらも音響的な害を中核に据えており、ゲームの音声が現実世界での身体的・精神的影響の直接的な媒介となるという共通のテーマを持っています。
3.3 「Polybius」との対比:恐怖の進化
1981年にオレゴン州ポートランドに現れたとされる謎のアーケードゲーム「Polybius」との比較は、技術に対する社会的恐怖の変遷を明らかにします。
Polybius(1980年代)の特徴
- 公共空間(アーケード)での脅威
- 政府の陰謀(冷戦パラノイア)
- 集団的な被害
- 「黒服の男たち」という明確な敵対者

Misfortune.gb(1990年代設定、2000年代創作)の特徴
- 私的空間(個人の携帯ゲーム機)での脅威
- 超自然的・神秘的な敵対者
- 個人的な被害
- プレイヤー自身の選択による危険
この変遷は、テクノロジーが大型の公共機器から個人的なデバイスへと移行したのと歩調を合わせています。恐怖もまた、外部からの操作への不安から、私たちの最も個人的な空間への侵入への恐れへと内面化されたのです。
4. 架空から現実へ:ファンコミュニティの創造力
4.1 具現化のプロセス
Misfortune.gb現象の最も興味深い側面は、架空の物語が実際のプレイ可能なソフトウェアとして具現化されたことです。このプロセスは2013年頃から本格化し、現在までに複数の異なるバージョンが制作されています。
主要なファンメイド版
- PC移植版(2013年): 最初期のプレイ可能な実装
- Misfortune.gb DX (RPG Maker VX): Devilionによる制作、物語への忠実度が高い
- Misfortune Advance (GBA): Sterophonickによる携帯ゲーム機向け「デメイク」
- Misfortune.gb MV Enhanced Edition: Studio Moonchalkによる機能拡張版
- Misfortune.gb (ROM): JWG.LLCによる本格的なゲームボーイROM
4.2 オーセンティシティへの渇望
ファンコミュニティの反応は、オリジナルの1989年ゲームボーイ体験への深い郷愁を明らかにしています。プレイヤーたちは単なるリメイクではなく、以下の要素を備えた「完璧な」再現を求めています
- 実機のゲームボーイでの動作
- モノクロ緑色のオリジナル画面表示
- 『ポケモン赤』内のグリッチとしての起動
- 8ビット時代の技術的制約の再現
この現象は、「リバースエンジニアリング」的な集合的創作と呼ぶことができます。存在しない製品の「仕様書」として機能するクリーピーパスタから、実際のソフトウェアを逆算的に構築する試みなのです。
4.3 信念のフィードバックループ
Misfortune.gbの永続性を支える最も重要な要因は、以下のような循環的プロセスです
- 物語の信憑性 → ファンによるプレイ可能版の制作動機
- 実物の存在 → 新規発見者への現実感の提供
- 認識された現実性 → さらなる議論と新バージョンの制作
この循環により、架空の物語は自己増殖的な現実性を獲得しています。
5. 現代デジタル民俗学における意義

5.1 参加型フォークロアの特徴
Misfortune.gbは、21世紀のデジタル民俗学の典型例として以下の特徴を示しています
従来の民間伝承との違い
- 静的な物語の伝達 → 動的で参加型の物語構築
- 受動的な聴衆 → 能動的な創作者コミュニティ
- 口承による変化 → デジタル媒体による正確な保存と意図的な変化
5.2 集合知による創造
このプロセスは、集合知(Collective Intelligence)の文化的応用例でもあります。分散したファンコミュニティが、個々の貢献を通じて、元の創作者でも予想しなかった豊かで複雑な作品群を生み出しています。
5.3 デジタル考古学的価値
興味深いことに、Misfortune.gbのファンメイド版は、1980年代末のゲーム開発技術の忠実な再現としても機能しています。制約の多い8ビット環境での創作は、当時の開発者が直面した技術的課題の追体験でもあります。
6. まとめ:機械に宿る幽霊の正体

6.1 現代の魔法としてのプログラミング
Misfortune.gb現象は、プログラミングが現代の魔法として機能していることを示しています。コードという呪文によって、存在しなかった世界が物理的な現実として顕現する―これこそが、デジタル時代の創造力の本質です。
ファンコミュニティは文字通り「言葉によって世界を創造」しており、クリーピーパスタというテキストが、プレイ可能なソフトウェアという物質的な形態を獲得するプロセスを実現しました。
6.2 ノスタルジアの力学
この現象の背景には、90年代レトロゲーミングへの強力なノスタルジアがあります。ゲームボーイ時代の「ブラックボックス」的な神秘性―カートリッジの中に何が隠されているか分からない不透明さ―が、現代のオープンソース・透明性文化との対比で、より一層魅力的に感じられているのです。
6.3 技術的郷愁と創造的実践
Misfortune.gbの制作過程は、技術的郷愁(Technological Nostalgia)が単なる懐古趣味を超えて、創造的実践の原動力となることを証明しています。制約の多い8ビット環境での開発は、現代の開発者にとって芸術的挑戦でもあります。