北海道の怖い話・奇妙な話8つ|赤い墓・イペタム・アフンルパルを資料で検証

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北海道の怖い話・奇妙な話8つ|どこまで資料で確かめられるか

北海道の怖い話・奇妙な話には、性質の違うものが混ざって残っています。アイヌの人々が語り継いだ伝承、開拓や終戦の記録、そしてネットで広まった噂です。

都市伝説ラボでは、選んだ8つの話を、自治体・博物館・図書館・報道・米国の外交記録で確かめられる範囲に絞って整理しています。

各話は「何が語られているか」と「資料でわかること・わからないこと」を分けて書く方針です。友達に話すときも、この2つを分けておくと間違いを避けられます。

話 場所 語られている内容 区分 資料でわかること
アフンルパル 登別・比布 下方の国(あの世)へ通じる穴の話 伝承 語り手と記録者、比布の洞窟が一部残ること
イペタム 旭川(上川地方) 人を襲う妖刀を沼に沈めた話 伝承 伝承の筋、名の由来、神社に刀が祀られていること
函館の赤い墓 函館 赤ずくめの人物「天下の号外屋」の墓 記録 説明板に呪いの話は書かれていないこと
テケテケ室蘭発祥説 室蘭 テケテケは室蘭で生まれたという説 噂 図書館が調べても確認できなかったこと
札幌の貼り紙 札幌市中央区 トラのような顔と「忘れない」の貼り紙 記録 2022年9月に報道されたこと、貼った人は不明
すすきのの始まり 札幌 歓楽街の成り立ち 記録 開拓使が遊郭を設けた経緯と移転の年
北海道の北半分 北海道全域 終戦直後のソ連の要求 記録 米国務省の公開文書で書簡が確認できること
毛無山と増毛 小樽・増毛 髪の縁起が良いとされる展望所 噂 小樽市の案内に記載があること

「伝承」は地域で語り継がれてきた話、「記録」は公的な文書や説明板、報道に残る話、「噂」は出どころがはっきりしない話を指します。

あの世への入口「アフンルパル」|登別と比布に伝わる穴の話

苔に覆われた岩の割れ目の奥に暗い穴が続き、手前を水が流れている
岩場の穴を描いたイメージ(実在のアフンルパルやアフン・ル・パロ洞穴ではありません)

アフンルパルは、下方の国(あの世)へ入る道を指す言葉だと説明されています。ここでは、登別に伝わる少年の話と、比布町の老人の話を、別の伝承として分けて紹介します。

アイヌの伝承は、語り手と記録者を添えた物語として紹介する方針です。

登別の少年の話|金成マツ伝承

登別市のアイヌ文化紹介サイトは、この話を「胆振国幌別郡幌別村 金成マツ伝承」として載せています。もとになったのは、知里真志保と山田秀三が1956年に発表した論文「あの世の入口-いわゆる地獄穴について-」です。

登別市『登別市史編さんだより』第3号によると、知里真志保は登別出身で、金田一京助の勧めで東京帝国大学に進学しました。山田秀三はアイヌ語地名の研究家で、2人は幌別町のアイヌ語地名なども共著で刊行しています。

伝承には、印象的な決まりごとがいくつも出てきます。生きたまま下方の国へ来ると、下方の国の人々にはその体が見えず、ただ犬だけがぼんやり見ることができるとされます。そのため「ただ犬だけは、おれに向かって猛烈に吠える。」という場面があるのです。

時間の感覚を示す言葉もあります。「おまえはここでほんの僅かの間見物しただけだと思うだろうが、実は10日以上もいるのだよ。」という一節です。

筋の中では、叔父が家宝の金の玉と銀の玉を欲しがり、悪魔に願をかけて少年の父母と兄たちを呪い殺したことが明かされるのです。さらに「死なずに生きたままでこの下方の国へ来た者は、上方の国へ戻ったとしても、長くは生きない。」と語られます。

論文は、この話がまだだいぶ長く続くと述べています。少年が叔父を身代わりにアフンルパルからあの世へ送り出し、のちにウラシペッ村の酋長になる顛末が語られていく、という紹介です。

資料でわかるのは、語り手が金成マツであること、記録したのが知里真志保と山田秀三であること、1956年の報告に収められたことです。この穴が現在どこにあるのかは、ここで引いた資料には書かれていません。

比布町のアフン・ル・パロ洞穴

比布町の突哨山には、別の伝承があります。大雪山麓上川アイヌ日本遺産推進協議会は、「地獄に通ずる穴 アフン・ル・パロ洞穴」として紹介しています。

語られているのは、洞窟の奥の世界に迷い込んだ2人の老人の話です。元の世界に戻ったあと、「もう一度行ってみたい」と語った老人は「まもなくぽっくりと」、「二度と行きたくない」と語った老人はとても長生きしたそうです。

同協議会は、この伝説の舞台となった洞窟が現在も一部残っていると書いています。ただし、これは比布町の洞窟の話であり、登別の話とは別の伝承です。

人食い刀「イペタム」|旭川の立岩と水神龍王神社

黄葉したカラマツとシラカバの林の中、沼のほとりにそびえる赤茶色の岩
沼のほとりの赤い岩を描いたイメージ(実在の立岩ではありません)

イペタムは、人を襲う妖刀の名です。北海道観光振興機構のアイヌ文化ガイドは、上川地方の伝承として「イペタム・スマ(人食刀岩)と、アサムサクト(底なし沼)」を紹介しています。

昔、上川コタンの首長(コタンコロクル)の家に、一つの刀がゴザ(キナ)に包まれて、神窓(カムイ・プヤラ)の上に吊り下げられていました。代々「これは妖刀である。どんなことがあっても開いてはならない」と言い伝えられていたといいます。

ところがある夜、怪しい光とともに、刀は音もなく姿を消しました。朝になると、何事もなかったようにゴザの中へ収まっていたそうです。

これが何日も続き、集落では、人々が不可解な切り傷で亡くなる事件が続きました。首長が刀を山深くに捨てても、カムイコタンの深みに沈めても、刀は家に戻り、相変わらず人々を襲いました。

祈りながら眠りについた首長の夢に、白髪の神と黒髪の神が現れます。首長は夢のお告げの通りに祭壇(ヌサ)を作り、刀を祀って命がけで祈りました。すると、轟音とともに岩が二つに割け、沼には白波が立った、という語りです。

首長は「アイヌ民族のために、この魔力を水神であるあなたに預けるから、しっかりと預かっていただきたい。」と言って、刀の包みを沼に投げ入れました。白波に見えたものは、幾千ともしれない白蛇だったそうです。それから集落には平和が戻りました。

こうして、妖刀を呑んだ沼はアサム・サク・ト(底なし沼)、赤岩はイペ・タム・シュマ(人食い刀の岩)と呼ばれるようになった、と伝承は結ばれています。

資料でわかること

大雪山麓上川アイヌ日本遺産推進協議会は、旭川市の立岩を「高さ8メートルにも及ぶ赤い奇岩」として紹介しています。かつてこの地に底なし沼が広がり、村長が人喰い刀を投げ込んだ伝説「底なし沼と妖刀」が残るそうです。

同協議会によると、イペタムはアイヌ語のイペ(食べる)とタㇺ(刀)に由来し、人喰い刀という意味だそうです。立岩は刀の形に似ていることから名付けられたといわれ、沼に捨てられた刀が岩になったともいわれています。

同じ協議会は、旭川市の水神龍王神社には、沼の底から発見された刀が現在もご神体として祀られていると紹介しています。

函館の赤い墓|眠っているのは「天下の号外屋」信濃助治

函館の「赤い墓」は、怖い話の題材にされることがあります。まず、函館市の観光説明板の文面を確認しましょう。道南ブロック博物館施設等連絡協議会の「南北海道の文化財」に、その文面が載っています。

墓の主は信濃助治です。説明板によると、明治27年(1894)6月、衣類・コート・帽子・足袋のはてまで赤ずくめで来函しました。

同じ年の11月、日清戦争の頃には、北海新聞の号外を函館市民にまいて「天下の号外屋」と称して売り出し、「赤服」と呼ばれていたそうです。

赤色を用いた理由について、説明板は「『赤心』(いつわりの無い心)は日本武道の精髄を表すとして、すべて赤色を用いたとのことである。」と記しています。

日清戦争の終結後は、戦勝記念に名将軍を全国に訪ねて書を頼むなど、奇行の多い人でした。そのため、当時の地元の新聞にも奇人として紹介されたとあります。

説明板の文面に、呪いにまつわる話は書かれていません。資料から言えるのは、赤ずくめの装いで知られた号外売りの人物が、函館で「奇人」として新聞にも載った、ということまでです。

テケテケ室蘭発祥説と、札幌の「忘れない」の貼り紙

テケテケは室蘭で生まれたのか

テケテケは、下半身のない人間の姿をした怪異です。男女どちらの場合もあり、足がないため歩かず、肘をついて移動するとされています。朝里樹さんがwebムーに書いた記事によると、移動が異様に早く、移動中に「テケテケ」という音がするため、この名前で呼ばれることが多いそうです。

ネットでは、テケテケは室蘭が発祥だと言われることがあります。これについて、札幌市中央図書館が国立国会図書館のレファレンス協同データベースに事例を残しています(事例作成日 2020/03/14)。

質問は、室蘭が発祥だとする明記された文献と、北海道の都市伝説について書かれた資料を探している、というものでした。回答は「調査したが確認出来ず。」です。北海道新聞のデータベースで過去50年の列車事故も調べましたが、室蘭市付近でテケテケの話に類似した事故は確認できなかったと記されています。

北海道の冬を舞台にした前日譚も知られています。急いで学校に向かう女子高生が、遮断機の下りている踏切を渡ろうとする話です。ただ、朝里さんの記事によれば、この踏切事故の怪談はもとは別の都市伝説だったそうです。

また同記事によると、松山ひろし著『カシマさんを追う 呪いの都市伝説』(アールズ出版、2004年11月)は、テケテケは沖縄県が発祥の地になっている可能性が高いとしています。1980年に沖縄県で語られていたという話は、少年を見ていると「上半身だけ出て『テケテケ~』っと近づいてくる」という内容です。

この『カシマさんを追う』は、国立国会図書館サーチで書誌を確認できます。より詳しい考察は、テケテケの正体を考察した記事にまとめています。

札幌の「忘れない」の貼り紙

こちらは、テレビで報道された奇妙な出来事です。UHB北海道文化放送の『みんテレ』が2022年9月15日に放送し、SASARUが9月25日に掲載しました。

札幌市中央区で、誰が何のために貼ったのかわからない「ナゾの貼り紙」が複数見つかり、SNSで話題になっていると伝えられています。観光客で賑わう二条市場から一本先の電柱に貼られており、東2丁目通りで4か所ほど見つかったそうです。

貼り紙の中央には、黄色いトラのような顔があり、目は赤く、大きく口を開けています。その上には「20:38」の文字があり、下には大きく「忘れない」と書かれています。大きさは縦13センチ、横8.5センチです。

電柱を管理する電力会社などは、貼り紙について把握していないと話しています。貼り紙は「怖い」「大きな陰謀の予感」とSNSで話題になったとされています。

報道からわかるのは、ここまでです。誰が、何のために貼ったのかは、この放送の時点でも明らかになっていません。

すすきのの始まりと「北海道の北半分」|記録に残る開拓と終戦の話

すすきのは開拓使の官営遊郭から始まった

ススキノにまつわる噂を聞く前に、記録に残る始まりを確認しておきましょう。北海道新聞の「札幌の遊郭の歴史」によると、1869年(明治2年)に、人口わずかな村落だった札幌に開拓使が置かれました。街の建設のために、労務者1万人が全国から集められたとのことです。

しかし多くは、北海道の厳しい気候もあり、ひと稼ぎすると本州に戻っていきました。そこで2代目開拓使判官の岩村通俊が、労務者をつなぎとめる手段として、近隣に散らばっていた遊女屋をまとめ、官営の遊郭の建設に踏み切った、という経緯です。

1871年、現在の中央区南4〜5条、西3〜4丁目に「薄野遊郭」が設置されました。札幌市中央区の年表にも、判官岩村通俊が官営の「薄野遊郭」を建設したとあります。

その後の移転は、札幌市の資料に出てきます。豊水まちづくりセンターの説明では、大正9年に遊郭が移転し、跡地に喫茶店やバーなどが建ち並んで、やがて今のススキノが形成されていったとのことです。

移転先の白石遊郭については、札幌市白石区の「歴史の散歩道」が、大正6年に移転が決定したと書いています。同じ資料によると、昭和33年(1958)の売春防止法の完全施行で、白石遊郭は姿を消しました。

終戦直後に出された「北海道の北半分」の要求

もう一つは、米国務省が公開している外交文書で確かめられる話です。『FRUS 1945 Vol.VI』には、スターリンとトルーマンの書簡が収められています。

1945年8月16日付の書簡で、スターリンは、日本軍がソ連軍に降伏する地域に、北海道の北半分を含めるよう求めました。北海道の東岸の釧路と、西岸の留萌を結ぶ線で島を分け、両市を北側に含めるという内容です。理由としては、日本本土のどこかに占領地域がなければ、ロシアの世論が深く傷つくだろう、という点でした。

トルーマンは翌17日の返書で、一般命令第1号を修正し、千島列島すべてをソ連極東軍司令官への降伏地域に含めることには同意しました。一方、北海道を含む日本本土の4島の日本軍の降伏は、マッカーサー将軍に対して行われるよう手配済みだ、という答えでした。

22日の書簡でスターリンは、北海道北部をソ連への降伏地域に含める要請をソ連は拒まれたと理解したと述べています。そして、自分や同僚はこのような回答を予期していなかったと書きました。

北海道新聞の連載「戦争の正体を追う」は、この書簡について「寸前で止まった北海道占領作戦」を扱い、スターリンの真意は今も見解が分かれていると報じています。文春オンラインに載った井上卓弥さんの書評は、富田武さんの『日ソ戦争 1945年8月』を取り上げています。書評は同書の内容として、スターリンは北海道北東部の占領さえ目論み、上陸作戦の中止命令は8月22日午後に出されたと紹介しています。

書簡のやり取りは、公開文書で確認できる事実です。一方で、要求の真意がどこにあったのかは、研究や報道の間でも見解が分かれています。

毛無山から増毛を望む|髪の縁起とアイヌ語の地名

最後は、怖いというより少し笑える話です。小樽市の公式サイトによると、毛無山は標高548.2mで、展望所は山腹の標高約470mにあります。

展望所からは、小樽の市街地や石狩湾が見えます。晴れた日には、遠く暑寒別連峰(増毛連山)を望むことができ、夜景スポットとしても人気だそうです。

市のサイトは、「毛無(けなし)から増毛(ましけ)を望める」ということから、頭髪が気にかかる人たちにとっては縁起が良い場所と言われていると紹介しています。展望所は冬期閉鎖です。

では、増毛という町名はどこから来たのでしょうか。増毛町の公式サイトの説明は次のとおりです。ニシンが群来ると海一面にかもめが飛ぶことから、アイヌ語で「かもめの多いところ」を意味する「マシュキニ」または「マシュケ」が転じたものであるといわれています。

北海道アイヌ政策課によると、平成15年度時点の北海道の市町村名のうち、約8割がアイヌ語に由来しています。髪の縁起は、あくまで名前の響きから生まれた話です。増毛の由来は、町が「といわれています」と案内している内容として受け取るのが確実です。

各地の伝承を地図で探したい方は、伝承マップも参考にしてください。

よくある質問

北海道の怖い話は本当にあった話ですか?

8つの話は、性質が異なります。アイヌの伝承は語り継がれてきた物語、赤い墓・すすきの・北半分は公的な説明板や文書に残る記録です。札幌の貼り紙は報道に残る記録で、わからないのは貼った人と目的です。テケテケの室蘭発祥説は出どころがはっきりしない噂です。

アフンルパルとは何ですか?

アフンルパルは、下方の国(あの世)へ入る道を指す言葉だと、登別市のアイヌ文化紹介サイトが紹介しています。登別の金成マツ伝承と、比布町のアフン・ル・パロ洞穴の話は、別の伝承です。

テケテケは北海道の室蘭が発祥ですか?

確認できていません。札幌市中央図書館が文献を探しましたが「調査したが確認出来ず。」と回答し、北海道新聞のデータベースでも室蘭市付近で類似した列車事故は確認できなかったという回答でした。

ほかの北海道の都市伝説は、北海道の都市伝説7選で整理しています。あわせて、さっちゃんの都市伝説も読めます。

📝 免責事項

最終更新: 2026年10月31日。本記事は自治体・博物館・図書館・報道機関・米国務省の外交記録などの公開資料をもとにした考察記事であり、個人の見解を含みます。※英語の資料は、都市伝説ラボが日本語に訳して要約しています。伝承や噂の真偽を断定するものではありません。

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