オアスペ(Oahspe)は、アメリカの歯科医が世に出した、約900ページの「新しい聖書」です。歯科医の名は、ジョン・バルー・ニューブロー(John Ballou Newbrough)。
ニューメキシコ州立大学(NMSU)図書館の展示は、副題を紹介しています。副題は「ジェホヴィとその天使の使節たちの言葉による新しい聖書」。
日本の書籍紹介(版元ドットコム)には、こうあります。
「19世紀末、アメリカの歯科医に天使が舞い降り、自動書記にて書かれた禁断の啓示書!」
なお、1882年は初版が出た年です。書かれた年は、資料によって1880年と1881年に割れています。この差も含め、方針は資料の記述をそのまま並べること。
啓示が本物かどうかは、ここでは判断しません。資料に何と書かれているかを、出典つきで確かめます。自動書記とは、本人の意思とは別に手が動き、文字が書かれるとされる現象のこと。
オアスペとは|1882年に出た「新しい聖書」
本のタイトルの意味は、本文の冒頭にあります。出典はsacred-texts.com の電子テキスト。
冒頭の節は、この本の啓示を「光」と呼んでいます。その光は地上のものと霊的なものを含むので、コスモン紀(KOSMON ERA)の始まりと呼ばれる、と書かれています。また、地・空・霊にも関わるため、書名は「OAHSPE」だという説明。
K. D. Stoes の論文「The Land of Shalam」にも、説明があります。掲載誌は New Mexico Historical Review の1958年1月号。
同論文は、Oahspe を「地・空・霊」を意味する語と説明しています。その語は「パネリック(Paneric)」由来で、パン大陸にさかのぼるとのこと。パン大陸は、日本の島々と北米の間に沈んでいるという書き方。
初版の出版年は、資料どうしで一致しています。World Religions and Spirituality Project(以下、WRSP)の項を見ます。
その「Faithists」の年表には、「1882年:オアスペの初版が出版された」の一行。Stoes の論文も、「1882年にニューヨークで出版」としています。
版については、次の記述があります。
- 初版(1882年):ニューヨークとロンドンで出たフォリオ判。Kosmon Press の小冊子「The Origin of Oahspe」の解説文によります。
- 第2版(1891年):ボストンとロンドンで出た、より安いクォート判(同小冊子)。
- 1910年版:ジャスティン・ニューブロー(Justine Newbrough)が著作権登録した版(Stoes の論文)。
- 第3版(1912年):sacred-texts.com の電子テキストは、この版に合わせてある(編集注記)。
この記事で引用する本文は、1912年第3版に合わせた電子テキスト。1882年の初版と語句が同じとは限りません。
続いて、ニューブローの経歴。WRSP によると、1828年6月5日にオハイオ州スプリングフィールド郊外で生まれました。
のちに歯科に転じ、ニューヨーク市へ移ったとされます。ニューヨーク州の心霊主義協会では、評議員(Trustee)にもなったとのこと。
sacred-texts.com のオアスペ紹介は、この本を心霊主義運動の文脈で現れたものと説明しています。同サイトの編集者による紹介文。
心霊主義は、同サイトによると、ニューエイジ的なチャネリングや前世回帰のヴィクトリア朝期の先行者。
どう書かれたか|本人の手紙に残るタイプライターと50週

この記事で使う資料のうち、執筆の経緯を最も早く記したのは、本人の手紙です。手紙は1883年1月21日付で、宛先はボストンの The Banner of Light の編集者。
先の小冊子「The Origin of Oahspe」に再録された一通。
手紙の冒頭で、ニューブローは編集者の依頼に応じて書くと述べています。続けて、本がどう書かれたか、誰が書いたかは、オアスペに記述がない、との断り。
つまり、執筆の経緯は本文の外の資料でしか確かめられません。手紙から、要点を拾います。
- 心霊主義を信じ始めたのは、時がたって10年から15年ほどのころ。
- ピアノのように鍵盤で書くタイプライターを手に入れよ、という指示。
- さらに2年、天使が天と地についての問いを出し続けた時期。問いは、どの人間にも、とても賢く(very intelligently)は答えられないもの。
- ある朝、光が両手の甲を打ち、両手がタイプライターへ向かって15分ほど激しく動きました(これは最初の朝のこと)。
- 50週のあいだ、毎朝日の出の30分ほど前に続き、やがて止まりました。その後に、「オアスペを読んで出版せよ」との指示。
手紙には、打たれた文字は読まないよう言われたとも書かれています。原文は “I was told not to read what was printed”。
本の挿絵にも、言及があります。奇妙な図版は、同じ方法で鉛筆で描かれたとのこと。ただし、土星やエジプトの儀式などの図は、他の本から写すよう言われたとも書かれています。
手紙には生活の変化も出てきます。肉と魚、牛乳とバターを断ち、夜明け前に起きて1日2回入浴するようになった、との記述。歯科の仕事はその間も続けていた、と本人は述べています。
50週という数字は、他の資料とも重なります。Encyclopedia of Occultism and Parapsychologyの項目より。
完成まで50週かかり、ニューブローは毎朝30分ずつ作業したと記されています。WRSP も、50週の筆記の結果が900ページ近い本だったと書いています。
次は、書かれた年の問題。資料は割れています。
- 1881年:Encyclopedia の項目。新発明のタイプライターでの自動書記、との記述。
- 1881年:小冊子の解説文。この年にニューブローが伝達の器になった、との記述。
- 1880年:sacred-texts.com のオアスペ紹介。「1880年に書かれた本」との記述。
手紙の「50週」には、年の記載がありません。1880年と1881年のどちらが正しいかは、ここで挙げた資料からは決められません。
何が書かれているか|ジェホヴィ・コスモン・菜食の戒め
オアスペの中心にいる神は、ジェホヴィ(Jehovih)です。WRSP の説明では、創造主、すなわち「至高の光(All Highest Light)」がジェホヴィと呼ばれるとのこと。
本文の冒頭近くには、次の戒めがあります。
「あなたは、いかなる神も、主も、救世主も持ってはならない。ただ創造主ジェホヴィだけを、今後永遠に礼拝せよ」。
原文の書き出しは “Neither shalt thou have any God, nor Lord”。
コスモン(Kosmon)は、先に見たとおり新しい紀の名です。本文によれば、始まりは、地上の事柄と霊的な事柄の両方を含む光。
この本には、食べ物と殺生についての戒めもあります。
- 「人も獣も鳥も、這うものも殺してはならない。それらは主のものだから」(First Book of the First Lords 第3章)。
- 「血と肉をもち命のあるものは、何であれ食べてはならない」(Second Book of Lords 第1章)。
WRSP は、信者の暮らしについても説明しています。内容は、菜食と酒などの回避で清らかに生き、非暴力を守る暮らし。
ニューブロー本人は、手紙で肉食を断ったと書いています。本文の戒めとは、同じ方向を向く内容。
ただし、手紙の食生活と本文の戒めを因果で結ぶ記述は、今回の資料にありません。順序や理由は書かれていないので、述べません。
「日本はパン大陸の残骸」「日本人はイヒン」説を原文で読む
日本の書籍の紹介文には、この説が出てきます。まず見るのは、その紹介文の言い分。
『世紀の啓示書「オアスペ」の謎を解く!』は、秋山眞人・布施泰和による本です。版元はナチュラルスピリット、書店発売日は2020年6月23日。
版元ドットコムの紹介ページには、次の文言があります。
- 「日本人は、イヒン(霊性をもつ人類)の血が色濃く残る子孫!?」
- 「『日本国』は沈没した謎の大陸『パン』の残骸だった!」
同じページの本文抜粋には、日本が太平洋にあった大陸「パン」の残骸だという記述があります。竹内文書と似た部分が多い、との記述も。
これらは、書籍の紹介文の主張です。竹内文書との類似や、日本人がイヒンの子孫だという説を、この記事は事実としては扱いません。
では、オアスペの本文はどう書いているのか。sacred-texts.com の電子テキスト(第3版に合わせたもの)で、日本とパンに関わる箇所を順に読みます。
イヒン、ドルーク、ヤク、イフアン
最初に、登場する人類の名前の整理。本文の First Book of the First Lords(第1〜3章)の記述は、次のとおりです。
| 名前(表記) | 本文の記述 |
|---|---|
| イヒン(I’hin) | 天と地の両方から生まれたので、そう呼ばれる新しい人類。 |
| ドルーク(Druk) | 「父の光」を内に持たない新しい人類。 |
| ヤク(Yak) | 「地の民」を意味する、混血の人類。 |
| イフアン(I’huan) | ドルークとイヒンの間に生まれた混血の部族。 |
The Lords’ First Book 第1章には、別の呼び名も出てきます。より高い光をもつ者は、フェイシスト(Faithists、すなわちイヒン)と呼ばれた、との記述。
フェイシストは、のちの信者集団の名前にもなっています。
パン大陸が沈む
The Lords’ First Book 第2章には、次の記述があります。「私はパン大陸を引き裂き、水の下に沈めた」。
続けて、天使たちが選ばれた人々をその地から導き出し、一人も滅びなかった、との記述。
Book of Apollo 第2章には、アポロ(Apollo)が、パン大陸の生まれだと名乗る箇所があります。その大陸は、ジェホヴィの命令でオリアンの長アフ(Aph)に沈められた、とされています。
日本とザ・パン
The Lords’ First Book 第1章に、日本が出てくる一節があります。2隻の船団が北へ運ばれ、イスタ(Yista)と名づけられた、という内容。
Whaga 語ではザ・パン(Zha’Pan)で、今日の日本と同じ地だとされます。意味は「パン大陸の残骸(RELICT OF THE CONTINENT OF PAN)」。
同じ章には、この民への言葉もあります。「あなたがたは、世界でもっとも古い民とみなされるだろう」。
また、「こうして日本は定住され、今日まで続いている」との記述も。
Book of Cpenta-Armij 第5章には、日本についての記述があります。日本は沈んだ大陸の残りなので、そこに天の王国を立てる、という内容。その王国は「スアス(SUASU)」と呼ばれる、とされます。
「日本人=イヒンの子孫」とは書かれていない
ここで注意したいのは、The Lords’ Fifth Book 第5章です。北の地(日本)へ2隻の船で渡った民について、次の記述。
千年後には、彼らとイフアンの間に線を引ける者はいなかったとあります。彼らはイフアンと混ざり、イヒンとしては失われた、という内容です。
原文は “mingled therewith, and were lost, as I’hins”。
つまり本文は、2つの記述を両方載せています。2つの記述とは、日本がパン大陸の残骸だという記述と、渡った民がイフアンと混ざったという記述。
紹介文は、「日本人は、イヒンの血が色濃く残る子孫」と言います。この言い方が先の一節と合うかどうかは、読み比べる側の判断。
パン大陸の位置は、資料によって書き方が違います。WRSP は、日本と北米の間に沈んでいる「と考えられている」という書きぶり。
Stoes の論文は、日本の島々と北米の間に沈んでいると書いています。地質学などの裏づけを示す資料は、今回の出典には含まれません。
Shalam(シャラム)|ニューメキシコの孤児の村

ニューブローと信者たちが築いた共同体が、シャラム(Shalam)です。NMSU 図書館の展示によると、シャラムは子どものための理想郷(ユートピア)でした。
築いたのは1884年の秋で、ニューブローとニューヨークから来たフェイシストの一団。場所はラスクルーセスの北西約6マイル(約10キロ)。
リオ・グランデ川の岸で、ドーニャ・アナ村から1マイルの地点でした。
資金を出したのは、ボストンの裕福な羊毛商、アンドリュー・ハウランド(Andrew Howland)。土地の購入は1884年10月4日(WRSP、Stoes の論文)。
ニューブローは1891年4月22日に亡くなりました。死因は、NMSU の展示ではインフルエンザ。
Reed McConnell の「Orphan Utopia」にも、記述があります。掲載は Cabinet Magazine 63号(2017年)。
インフルエンザの流行の中で亡くなり、ハウランドが未亡人と結婚して指導者を継いだとのこと。
シャラムの終わりの時期と、子どもの人数は、資料によって違います。後ほど、章「資料で確かめられること・割れること・確かめられないこと」の表で並べます。
日本語訳と、日本でオアスペを紹介する本
日本語訳は、福永裕史訳、秋山眞人・布施泰和監修の『オアスペ全訳』です。版元は東京のヒカルランド。
国立国会図書館サーチの書誌では、第1巻が2020年10月、第2巻が2020年12月、第3巻が2021年2月。
版元ドットコムには、秋山眞人と布施泰和の対談の抜粋が載っています。布施泰和の問いは、「秋山さんはどうして『オアスペ』に興味を持つようになったのですか」。
秋山眞人の答えは、『神々のルーツ』に関わるものです。著者は、アメリカの古代文明研究家ジョージ・ハント・ウィリアムソン(George Hunt Williamson)。
秋山が翻訳を監修し、その中でオアスペが重要な文献として紹介されていた、との答え。これは秋山個人が興味を持ったきっかけで、日本で広まった経緯の説明ではありません。
2018年の記事によると、海外には信仰を続ける人たちがいました。出典はWRAL.com 掲載の配信記事。
団体の名は、ユニバーサル・フェイシスツ・オブ・コスモン(Universal Faithists of Kosmon)。オアスペに傾倒し、遠隔でおよそ200人の共同体に奉仕している、と記事は伝えています。
同じ記事では、プリンストン大学のアメリカ宗教の教授セス・ペリー(Seth Perry)が、こう語っています。
「オアスペがこの集団にたどり着いたのは、意外だが興味深い」。
資料で確かめられること・割れること・確かめられないこと
ここまでの内容を、3つに分けます。
確かめられること。
- 初版の出版年は1882年(複数の資料が一致)。
- ニューブロー本人による、1883年の手紙でのタイプライターと50週の筆記の記述。
- 本文にある、日本をパン大陸の残骸とする記述(第3版に合わせた電子テキスト)。
- 日本語訳『オアスペ全訳』の、2020年から2021年にかけての全3巻の刊行。
資料によって割れること。
| 項目 | 一方の記述 | もう一方の記述 |
|---|---|---|
| 書かれた年 | 1880年(sacred-texts.com のオアスペ紹介) | 1881年(Encyclopedia、Kosmon Press の小冊子) |
| シャラムの閉鎖 | 1901年(NMSU、Cabinet Magazine)。NMSU によると、養子にならなかった子どもたちはダラスとデンバーの孤児院に送られました。 | 1907年11月30日(WRSP、Stoes の論文)。WRSP によると、ハウランド夫妻と残った子ども4人がカリフォルニアへ移り、閉鎖されました。 |
| シャラムが迎えた子どもの人数 | 約50人(NMSU、WRSP) | シャラムが迎えた孤児は28人を超えませんでした(Cabinet Magazine) |
1907年の売却は、Jone Howlind の論文にもあります。論文は「Shalam: Facts vs. Fiction」。
掲載は New Mexico Historical Review 20巻4号(1945年)。「1907年にシャラムを売ったとき」という一節があります。閉鎖の年も子どもの人数も、どちらが正しいかは、ここでは決めません。
確かめられないこと。
- 啓示が実際に天使から与えられたものかどうか。
- 沈んだパン大陸が実在したかどうか。
- 日本人とイヒンのつながり(本文の記述と紹介文の言い方には、読み取りの幅)。
気になる方は、同じ都市伝説ラボのこっくりさんとウィジャボードの由来を扱った記事も参考になります。ほかの話題はオカルト・ミステリーのカテゴリにまとめています。
よくある質問
オアスペは、いつ誰が書いた本ですか?
ジョン・バルー・ニューブローという歯科医が、自動書記で書いたとされる本です。初版は1882年にニューヨークで出版。書かれた年は、資料によって1880年と1881年に割れています。
タイプライターで書いたというのは本当ですか?
本人の1883年の手紙に、そう書かれています。ピアノのように鍵盤で書くタイプライターを使い、毎朝日の出の30分ほど前に50週続けた、とのこと。手紙以外の第三者による確認は、今回の資料にはありません。
オアスペに「日本はパン大陸の残骸」と書かれているのは本当ですか?
本文に、日本(ザ・パン)を「パン大陸の残骸」とする記述があります。ただし本文は、日本へ渡った民が千年後にイフアンと混ざったとも書いています。
日本語で読めますか?
福永裕史訳『オアスペ全訳』(ヒカルランド)が出ています。第1巻から第3巻まで、2020年から2021年の刊行。
📝 免責事項
最終更新: 2026年10月20日。本記事は原典の公開テキスト・大学図書館の展示・研究誌の論文などの公開資料をもとにした考察記事であり、個人の見解を含みます。特定の信仰や団体の評価を目的としたものではありません。※原典の引用は1912年第3版に合わせた電子テキストによるもので、版によって語句が異なる場合があります。
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